私流・他人の本棚鑑賞法

エロい本棚アドベントカレンダー2022』4日目

はじめに

個人の本棚は、絶対的にエロい。

どんな人でも生きている以上、日々何かしらの影響を受けている。その人が何にどのような影響を受けたのか基本的に他人からは見えないし、本人が無自覚のことも多いはずだ。しかし人は、その一端を並べて他人からも見える現実に存在させているのだ。無ければ見えないのに、ある。それが本棚のエロさだ。

 

本題

個人の本棚は絶対的にエロいが、そこにあるエロをどのように見ているのかは人それぞれだ。ある本棚を見てAはエロいと感じ、Bはエロくないと感じるなんてことも当然ある。存在のエロさに揺るぎはないが、個人的にグッとくる点があるかは別ということだ。

そこで、筆者の場合は他人の本棚をどのような流れで見て、どこにエロさを感じているのか、大まかだが順に書き出してみた。性癖の開示である。

 

1.相手を信じる

これは無意識で行っていることだが、土台になるので割と重要な気がする。

どういうことかというと、“提示された本棚がその人のものではない”可能性があるということだ。特にSNS上では、理想・空想上の自分をあたかも現実かのように誤認させる投稿が散見されるため、可能性として捨てきれない。これは事実確認が困難な上、この可能性に囚われてしまうと先に進めない。ゆえに相手を信じることから始めるのである。

 

2.ざっと全体を見る

版型によって置く場所を分けていたり、ごちゃ混ぜだったり、横に積まれていたりと様々なレイアウトで本は並んでいる。事実は“その人がその本を所持していて、そのように置いている”ということのみだが、その事実から性格・生活を想像するのは楽しい。

例えば“ドラゴンボールの単行本を順不同で並べているけど、暮しの手帖は整然と並べてあるから普段はSNSで丁寧な暮らしを発信しているかもドラゴンボールは順不同だけど”という感じ*1

また、本棚に空白があると嬉しい。漫画の途中の巻が抜けていたり、文庫や単行本が抜けたあとの空白を隣の本が斜めの姿勢でカバーしていたりすると、とても嬉しくなる。その本棚は活用されていて、並んでいる本は持ち主に影響を与え続けているのだと確認できるからだ。本棚の空白はその本棚が生きている何よりの証拠である。

 

3.本を一つ一つ確認する

並んでいる本は、少なくとも“持ち主が存在を知っている”本だ。中には未読のものもあるだろうし、読んだ本の解釈までは分からない。それでも、そこに並んでいなければ“持ち主が存在を知っている”ことさえ確信できなかったに違いないのだ。

筆者は大変気持ち悪いので、その人を好きもしくはその人に興味があった場合、並んでいる本を片っ端からリストにまとめている。

読んだ本への解釈は、その人と直接話せる場合を除けば、本人の発信を待つか生き様から読み取るほかない。もしくは既に言動に出ていて、本棚をみたことでその解釈を裏付ける形になったとしたら。それは大変えっちだ。

 

4.もう一度全体を見る

細部に注目した後にもう一度全体を見ると、はじめに見た時と質感が変わったように感じることがある。並べられた本それぞれの輪郭がはっきりとするような感覚。何か一つのものを時間をかけてまじまじと見ることはあまりない気がするから、普段は視界の解像度が低いのかもしれない。美術館でも同じ感覚になることがある。たまにやると楽しいからおすすめ。

 

 

おわりに

はじめてブログで文字を大きくしたりしたら大きくなったりして楽しかった。

本棚を見る視点は人によって異なるから、自分とは違う視点の話も聞きたい。

自分自身まだ語り切れていないこともある。幸いまだ空きはあるので、もう少し書けたらなあと思っております。

エロ本棚のことを語れて読める幸福。大感謝。

*1:『暮しの手帳』は過去「丁寧な暮らしではなくても」というキャッチコピーを打ち出していたので、『暮しの手帳』が丁寧な暮らしを推奨しているわけではない。名誉のために。

丁寧な暮らしではなくても…『暮しの手帖』新編集長に聞く、話題のコピーの真意|ウートピ