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劇伴が良い。作画が良い。原作とは違う構図で映すことにより、そのシーンで印象付けたい部分がより伝わるよう工夫されている。

個人的に好きなカットは、山本元柳斎重國がリューダース率いる「見えざる帝国」の下っ端に刃を振るったあと。原作では前面から 焼け跡→元柳斎→執務室の壁 となっていたところ*1、アニメでは 元柳斎→焼け跡→瀞霊廷 という構図になっている。宣戦布告という穏やかならざる事態の発生と、今はまだ平穏な瀞霊廷、総隊長である元柳斎を同時に映すことで、来る戦の規模の大きさや元柳斎の重責が窺える。また、それらの破壊によるカタルシスもより大きなものになるだろう。

 

では、前半の十数分は一体何だったのだろう。

一護の挨拶卍解あたりのことである。

 

対虚用の撒き餌*2を使ったとしか思えない虚の数、メインキャラクターの能力と名前の紹介、果てはキャラクターショーで司会のお姉さんが子供たちに声を出すよう促したかのようなお約束卍解(しかも能力的に必要無い)。

 

「みんな!一護くんたちがピンチだよ!一緒に応援して一護くんを助けてあげよう!」

「せーーーのっ!」

「「「卍っ解!!!」」」

 

夕方のお子様ターゲット時代の感覚が抜けていないのではないだろうか。

一護が放つ月牙天衝に合わせて「ファンの方々、大変長らくお待たせいたしました。十年ぶりの卍解、月牙天衝です。どうぞ」というナレーションが聞こえてきそうだった。要するに冷める。

 

驚いたのは、少なくとも私の観測範囲で、この前半部分について肯定的な意見が多いということだ。否定的な意見の方々が大人で、アニメ開始の盛り上がりに水を差したくないがために黙している可能性も大いにある。しかし、それにしてもこれを喜び、称賛する声がかなり大きいことに驚きを隠せない。

 

アニメ終了から十年、連載終了から六年ほど経ったにも関わらず尚も絶大な人気を誇るこの作品で、製作陣は何を恐れているのだろう。分かりやすい見せ場を作って視聴者を釣ろうとする必要が、果たしてこの作品にあるのだろうか。

私にとって最悪の想定は、製作陣がこの部分を純粋にカッコいいと思っていて、描きたくて描いている場合だ。事実として、ただカッコいいから良いとする声は前述のとおり多い。

馬鹿に向けて作っているのではなく、単純に製作側も視聴者もより分かりやすいものを嗜好しているのであれば、そんな地獄はほかにない。

正しいとか間違っているとかではなく。ただ地獄。

 

チェンソーマンを観よう。

chainsawman.dog

 

*1:原作484話

*2:初期の石田が使っていた虚を集めるアイテム