新年

三鷹駅から南に歩いていくと禅林寺という寺がある。太宰治森鴎外の墓がある寺だ。山門が南に配置されており、敷地内北側に位置する墓所までぐるっと塀で囲まれているため、墓参で駅から歩いていく場合は一度連雀通りまで出なければならない。禅林寺の西側隣地には三鷹八幡大神社という神社があり、こちらは南北で通り抜けできる造りとなっているが、禅林寺と繋がる通路はないため、駅からぼーっと歩いているとこちらに迷い込み、塀を隔ててすぐそこに墓があるはずなのになかなか辿り着けないという間抜けな格好になる。私は間抜けなのでそうなった。

禅林寺は山門を入ると正面に庫裏が見え、庫裏向かって左手に本堂が配置されている。日本史か何かで寺院の伽藍配置云々など読んだ記憶があるが、時代・宗派によって異なり、なんだかよく分からないが考えられた配置らしいというぼんやりとした知識しか持ち合わせていないため、正面にあるものが一番偉そうに見えるけど本堂が西にあるということは西が偉いのだろうなどと考えていた。思えば私は寺を訪れたことがほぼなく、思い出せるもので中学生の頃修学旅行で京都に行った時と浅草寺くらいのものだから、なんだか異文化に触れるような気持ちになっていたのである。

今回禅林寺を訪れたのは太宰治の墓前で手を合わせるためだ。しかし自発的に墓参するのが初めてということと、何度か連れられて墓参した祖父の入っている墓所が塀に囲まれていない四方に開放されたものであったから、今回のような庫裏の向こう側にある墓所へ行く場合、住職か誰かに一声かけてから行くべきなのだろうかと初歩の段階で躓いた。結局聞かずに入って不審がられるのが一番面倒だと思い至り、庫裏と一体になっている寺務所へ向かったわけだが、この躓きに自身の社会性の無さを感じずにはいられない。

寺務所の受付で要件を伝えると「ここを出て右手に墓所へ通じる道がある」と教えてもらえた。ついでに一束百円で売られていた線香を購入したら「火をつけていくか」と聞かれ、一瞬戸惑ったが、ライターもなにも持参していなかったためお願いした。するとその職員は横に置いてあったカセットコンロに火をつけ、束の線香を束のままその火で炙り始めた。呆気に取られているうちに先端からススキ花火の如く煙を放出する線香の束を渡されていた。線香とはこういう火のつけ方をするものだったか、私は今までどのように火をつけていたか等と思考を巡らせながら、顔は平静を装い、礼を言って寺務所を出た。

その日は風が強く、右手に持った線香の束は燃料を仕込まれているのかと疑うほどの早さで灰になっていく。軽い気持ちで墓参にきたら、いつの間にか線香が全て灰になる前に目当ての墓を見つけなければならないゲームになっていた。

右に少し歩くと、本堂と庫裏を繋ぐ渡り廊下を潜るようにして通路があり、その入り口には“森鴎外 太宰治 墓所”と書かれた立て看板が設置されていた。墓一つ一つに番号が振られているようで、立て看板には森鴎外太宰治の墓の番号が記されていた。

墓所に入ると、焦る必要などなかったほどあっさりと太宰治の墓は見つかった。さすがに文豪ともなると、特に何もない日でもウイスキーや缶ビールなどが供えられており、花立は新しい花で彩られていた。

五分の一ほど灰になった線香の束から若干焦げた包み紙を取り、線香皿にすべて寝かせたところで、そういえば線香は蝋燭に移した火で炙るのではなかったかと思い出した。こうなると暗に作法など気にする必要はないと言われているような気がして気が楽になったため、風で転がっていた供え物を置き直してから、しゃがんで手を合わせる。毎度考えるが、この手を合わせて目を瞑った際に何を思えば良いのかわからない。ただ、一人墓前にしゃがんで手を合わせるという行為そのものに何か憧憬のような念を抱いていたから、実は形だけで概ね満足しており「あけましておめでとうございます」と安直な挨拶だけして目を開けた。

年末年始感の無さをどうしたものかと思っていたが「あけましておめでとうございます」と口に出すだけで新年感が増すことに気が付いた。

もうすぐ無職だ。