知らん人のnoteについて

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これは、私から見ていつまでも知り合いの知り合いという距離感の変わらない知らない人が書いた記事だ。

端的な感想は「酒の席の話は酒の席で消化してくれ」。以降は私が自分の考えを整理するための文になる。

 

まずこの記事の内容を整理する。

  • 人々は他人の人生に干渉しすぎており、それでいて不寛容である
  • 過度に干渉しないでほしいし、自分も人に対して過度に干渉はしない
  • 自分の精神に悪影響なものを切り離すことで精神安定を図る
  • 多様性が今よりも尊重された世の中は相互不干渉・寛容型社会になるのでは
  • 過干渉・不寛容型社会と多様性は相反するからしんどい
  • 不干渉・寛容型社会に住みたい

流れとしてはこのような感じだろうか。

抽象的な語が多いため、彼と解釈が一致しているか不安だが、何かと炎上しがちで、全く関係のない誰かが誰かを叩いている社会はとても住みにくいし、しんどいから変えていきたいですねということだと思う*1現代社会で毎日のようにどこかで叫ばれているであろうものだ。つまり多くの人がこう思っていて、それでいて解決していない問題ということになる。そして彼は、これらが解決もしくは改善された(多様性が尊重されまくった)世の中は不干渉・寛容型社会になるという。

それはそうだろう。彼と同じ思想を持つ人が増えれば増えるほど全体として彼の望む方向に向かっていくのは当然のことだ。言い換えれば、彼らの規定した範囲内においての寛容と多様性とが尊重される社会になるということだ。そしてその社会において彼らは「寛容する側」であるため、さぞ住み易かろうと思う。

 不干渉の部分をもう少しいい言葉に変えたいなぁ、と飲み会以後ずっと考えているんだけどどうもしっくりくるものがない。ニュアンスはなんとなく伝わると思うのでいい案があったら教えてほしいです

大東亜共栄圏」とかどうでしょう*2

 

さて、私はただ批判をしたいわけではなく、もう解決策出してるじゃないですかと言いたい。それは「自分の精神に悪影響なものを切り離すことで精神安定を図る」の部分だ。

不寛容なものを不寛容な態度で排除していくのはとても不寛容だなあと思うし、寛容でありたいのに不寛容がそうさせてくれないというのであれば、切り離せば良い*3。切り離す行為も人によっては不寛容に映るかもしれないが、私はその円を広げないのであれば上手な共生方法だと思う。

これもまたそこら辺によく転がってる考え方だから目新しさは無いだろうが、それをすれば彼の望む社会は彼から半径数mのところで実現される。ノブナガの円が半径4mだということを鑑みれば相当強いし、何もピトーを目指す理由も道理も無いだろう。

 

おそらく彼から見た私は過干渉で不寛容なのだろう。私から見た彼も不寛容だし、そういうものですよねと思う。

多様性を尊重するのであればそういったストレスは必ず伴うと考えている。だからそういうものにストレスを感じるのは当然のことだ。ただ、そのストレスを取り払おうとする時、それは誰かに対して不寛容であるということに留意すべきだろう。まずその二律背反で悩まなければならないはずだ。

異論反論は是非受けたい。

*1:変えていきたいの部分は原文後半に書かれていたものを解釈した。特にこれらを変えようと思っていないのであればこの話はここで終わりだ。

*2:歴史認識が間違っていたら教えてほしい。

*3:宗教や政治だとそうもいかないだろうからSNSに限る。