映画いろいろ


『マリッジ・ストーリー』予告編 - Netflix

ノア・バームバック監督『マリッジ・ストーリー』。法律や弁護士を通すことで円満な離婚から遠ざかり、言葉を尽くそうとすれば暴走し、二人が子を愛してるがゆえにその子の存在は争点となる。夫婦という制度を基礎にしている人間社会で最も見たくない類の争いが嫌になる程描かれており、理想の母親像と父親像の違いという観点などジェンダー問題も孕んだ作品だ。

見所は主にスカーレット・ヨハンソンの美しさなわけだが、演出はかなり凝っていた。ニコールとチャーリーはそれぞれ俳優と劇作家(監督)で、彼らが弁護士等を雇って武装する際、ニコールは紹介された敏腕弁護士によって演技指導を受け、チャーリーは弁護士を自分で選ぶ*1。また、チャーリーはロサンゼルスに部屋を借りた際、調査員に備えて部屋のレイアウトを考えるなど、劇作家(監督)としての側面が強調されており、職では名誉な賞を得ながら、その才能が家庭というより小規模なコミュニティでは全く機能しないという見せ方をする。それぞれの職が夫婦としての軋轢や離婚調停の進め方にスライドし、次第にその関係性は変化していく。途中は省くが、最後には俳優(ニコール)の書いた台本(好きなとこリスト)を監督(チャーリー)が音読するのである。音読するチャーリー(俳優)とそれを見つめるニコール(監督)という構造への変化は、独裁的な夫とその被害を受けた妻の逆転という意味では決してなく、互いの心を理解するために必要だった過程だ。その証拠に、ニコールは実際の職として監督業をはじめるに至ったが、チャーリーも監督業を続けている。対等に互いを理解し、同じ道を走っていくのである。このような美しいシークエンスによって、この作品はただの見たくない類の離婚劇として終わらなかったと言えるだろう。

ただ、個人的にこういうテーマを扱うのならば子どもの視点を強く描いてほしく(目的が違うから仕方ないのは分かる)、そんな気持ちからスコット・マクギー、デヴィッド・シーゲル監督『メイジーの瞳』を久しぶりに観た。

ストーリーは静かに進み、メイジーのファッションがそこに彩りを与えるため、視覚的にはとても幸福なのだが、次第にメイジ―は着せ替え人形なのではないかという不穏な感じがしてくる。父と母、その再婚相手のリンカーンとマーゴたちの間を行き来し、ついに知らない場所で目を覚ましたときに発した

I wanna go home.

という一言に苦しくなる。 離婚調停の期間で夫婦の間を行き来する子どもの家は一体どこなのだろうか。『マリッジ・ストーリー』においても住居が裁判上重視されていたが、子どもの発する言葉にはそのような形式ではない切実さがある。最終的にはリンカーンとマーゴのもとで暮らすことを選択したメイジ―だが、その家は売り出し中の期間限定物件だ。希望のある終わり方だったとは思うが、メイジーの神聖さゆえに関係が崩壊していないという危うさもある。ともあれ、リンカーン、メイジー、マーゴの並びが幸福の象徴とでも言いたくなるような美しさで、実はそれだけでもう満足だったりする。

 


『失くした体』予告編 - Netflix

ジェレミー・クラパン監督『失くした体』。事故によって切断された右手が本体を求めて大冒険という難解すぎる設定の映画だ。保管庫から飛び出した右手は生まれたての子鹿のようにプルプルと立ち上がり、歩き方を覚えて本体を目指す。その道中とナオフェル(右手の主)の過去の映像が交互に流れ、セリフ少なめに映像で魅せるような演出をしている。流れる回想は右手の記憶であり、ナオフェルの主観だ。彼の視界は色味が薄い。それは幼い頃に両親を失ったことで生活環境が悪化し、人の優しさに触れる機会が減ったためだろう。そんな中で一人だけ彼に優しい言葉を投げかけるガブリエルが現れ、映像の中で彼女は文字通り異彩を放つ存在となる。ナオフェルは作中に頻出するハエの羽音のように不快な思考回路でもって彼女との接触を図り、気持ちの悪い恋愛が始まるのである。

右手は、ナオフェルの過去の幸福そのものだ。幼少期にボイスレコーダーを持って様々な音を拾い集め、ピアノを弾き、砂を掻き上げ、ハエを捕まえようとする。幸福な空間では手が多くの役割を担っていた。つまり右手の切断は幸福な記憶の切断なのだ。少なくとも右手はそう考えていて、それが動機で本体に帰ろうとしたのではないだろうか。しかし本体であるナオフェルは、ガブリエルに拒絶され右手を失っても、足で地面を蹴って飛び、前を向くのである。彼の吐く息は白く、色味を欠いた冷たい世界でも彼には暖かい体温があることが分かる。その様子をみて、右手はさぞ安心したことだろう。ウルキオラを思い出す映画だった。

 


『クロース』予告編 - Netflix

セルジオ・パブロス監督『クロース』。サンタクロース誕生の話。大人も子どもも楽しめるタイプのアレ。歴史的な対立などは大人の感情で、より楽しく遊びたいと願う子どもがやはり最強という感じの映画だった。

 

正直なところ『映画けいおん!』と『たまこラブストーリー』についてあれこれ書こうと思っていたのだが、私の中では改めて『風の谷のナウシカ』について書くようなもので、その気恥ずかしさゆえにやめた。わかりきっているほどに名作なのである。ここ数日でこの他に何作か観たような気がするが、思い出せないので仕方がない。思い出したらまた書こうと思う。

*1:ニコールの弁護士によって選ばされたとも取れるため、このあたりからチャーリーは監督から俳優へ変わっていく。