あわよくば九龍に行きたい

たいせつなのは、個人的なことだ。その人にしか感じられない喜びや悲しみ。あるいは、ほかの人からすればどうでもいいような人間関係。そういうものが守られなければいけないのだと思う。

『本屋さんしか行きたいとこがない』島田潤一郎

https://100hyakunen.thebase.in/items/30667171

著者はこれの例として『アンネの日記』を挙げているが、タイムリーなことに私は最近『二十歳の原点』を読んだ。他人の日記を他人が本にして売っているのだと思うと気が引けるが、引用の理由ともはや時効だという気持ちで読んだ(書簡集なども同じ気持ちで読んでいる)。

二十歳の原点 (新潮文庫)

二十歳の原点 (新潮文庫)

 

学生運動時代に二十歳で自殺した人の日記である。

二十歳以降の自分を想像できないからおそらく死んでいるなどと言って結局生きている私から見ると、実際に同じように悩み、悩んだ末に自殺をするというのは格好よくすらある。

この頃はよく煙草を吸う。マッチに火をつける。先からだんだんと指先へと炎が移ってくる。子供がやりそうなことである。「どれだけ長くがまんしていられるか、いちにのさん」。アチッと反射的に離すのではなく、熱いなあと意識してから離すようになれたらと思う。 

好きな部分です。

 

煙草と言えば『九龍ジェネリックロマンス』が最高で、鯨井が朝ベランダでスイカと煙草を交互に口へ運ぶ描写の何と素晴らしいことか。

九龍という舞台がまず良いし、ジェネリックテラ、いつもの店、新しい店、封鎖されたいつもの抜け道、知らない道など、登場人物の関係や感情(意識・無意識関係なく)との見事なリンクにため息しか出ない。一生連載してほしいし今すぐ完結してほしい(はやく最後まで読みたい)。おすすめ。

 

影裏 (文春文庫)

影裏 (文春文庫)

 

5月かそこらにコ本やさんがやっていた5000円と2つのキーワードで選書してくれるサービスを利用して届いた本の一つ。

その中の『廃屋の眺め』という短編の一節。

定職を持たず、毎日を無為のうちに送っていると、心に一種の真空ともいうべき良識を見事に欠いた間隙が生まれる。ふとした拍子にその隙間から、すっと人恋しい気持ちが入り込もうものなら、もう駄目で、日ごろ頑なに保持してゆずらなかった他者へのガードが、ぐっと下がる。

 私はこれを経験したい。半年後か一年後か知らないが、近いうち(遠い)にそういう状態になりたいという気持ちで生きている。資本主義の頂点に立ちたい気持ちと路上で生活したい気持ちが同居していて、人間ままならないものだ。

 

ベルセルク 1 (ヤングアニマルコミックス)
 

全巻読んでしまった。やはり映画三部作黄金時代編にあたる部分の質量が半端じゃない。

独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。

これは前述『二十歳の原点』の引用であるが、同じように独りであり未熟であったガッツが手に入れたものと、それを一度置くという選択のすべてがあの蝕に繋がってしまうという残酷さに心を抉られる。彼が救われないと高野悦子も救われないのだから、私が死ぬまでに彼を救ってほしい。あと化物のデザインが小学生のそれなのに画力で押し切っていく感じがだんだん良いねと思えてきた。

 

その他、最近は劇場で『風の谷のナウシカ』を観たり家で『愛の不時着』を観たり、林道に行ったり目に入った古書店や酒屋を覗いたりしている。劇場でナウシカを観て泣いたあとから散歩している宮崎駿とどういう顔ですれ違えばいいのかわからなくなったし、ソ・ジヘ演じるソ・ダンが愛おしくてしんどいし、林道は勝手に入ったらいけないし、吉祥寺の「百年」という古書店がとても良い(上のほうにリンクがある)。創作物の過剰摂取は毒なので近いうちに小旅行したいですね。来週あたりに鍾乳洞でも行こうかなと思っている次第。