平庫ワカ『ホットアンドコールドスロー』

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『マイ・ブロークン・マリコ』の作者・平庫ワカ先生の新作読み切り。マリコとシイちゃんはどうしようもなくなってしまってからの話だったが、今作はどうにかできる可能性がある時点の話だ。ただ、どうにかできる時点でどうするかを決めることの困難さ、まして新たな命が生まれ、他人と共同体として生きていくという難題に直面する話だから、むしろ多くの読者にとって身近な、より重さを想像できる話だと思う。表現方法や言葉のセンスなんかがもう完全に私のツボ。

 

台所でコールスローを作ろうとキャベツを剥いて洗うシーンから、40数億年遡って地球が誕生し、なんやかんやでホモサピエンスが誕生したかと思えば教科書のホモサピエンスの切り抜きをクラス中から集める男の子へ話が繋がって、春のパン祭りで貰える皿を10年間集め続ける夫に視点が移る。ミクロ→マクロ→ミクロの視点切り替えが大胆過ぎる。ただ大胆というだけではなくて、生命の誕生から現代にいたるまでの途方もない歴史と、今ここで起こっているマクロ視点で見れば米粒以下の出来事をつなげて、それを並列で語ってくれるあたりに優しさを感じる。広大な自然(ありがちなのは海)を見に行って自分の悩みのちっぽけさを認識して叫んでスッキリなんていうことができない人間への、これは肯定だとさえ思う。

そしてそんな途方もない歴史ではなくとも、人はその一生で結構変わってしまうもので、それを受け入れることの困難さは誰しもが経験のあることだと思う。血だらけの妊婦(ましてや妻)をほっぽって皿の心配をしてしまう清司さん*1は大分アレだが、それでも煙草は辞めようとしていて、そういうどっちつかずで腹立たしい感じに生きている人間を感じてしまう。なればこそ、糸さんはなんとか形を保った皿を粉々に砕いてやる必要があったのだろう。現実は変化していっているにも関わらず、いつまでも変わらないものに安心感を抱いて留まり続けようとする彼の頭で、その不変の象徴たる春のパン祭りの皿を叩き割る必要があったのだ。

私自身、どちらかと言えば清司さんよりの人間で、彼を全面的に肯定したくはないが、どうしても分かる要素が大きくて唸ってしまう。変わらないでいてくれたらそのほうがきっと嬉しいだろうと思ってしまう気持ちは確かにあって、しかし現に変化の途中にいる相手にそれを求めてしまうのはとても侮蔑的なことだと理解してもいる。私は皿じゃねえんだぞと言われればおっしゃる通りですとしか言えないだろう。同じように、実際に想像を絶する(だろう)苦痛を乗り越えて子どもを産もうとしている当人の前で、実際の苦痛を伴わない男性はその内にある悩みや恐れを吐露しにくい。私のほうが辛いだろうがと言われればおっしゃる通りですとしか言えないのである。それでもやはり、海に比べたらちっぽけでも、怖いものは怖いし、不安なものは不安なのである。そういうものを内に溜めていたであろう清司さんの、その部分を結果的に掬い取ってくれた糸さん。彼女の求めていた“どうしたらいいのかわからないことを教えてくれる人”は、まさに清司さん(に重ねた私自身のような気もする)から見た糸さんそのものであった。清司さんは“一緒に考えてくれる人”になるほかないですね。

とにもかくにも、「コールスローを...リベンジしませんか」と言える糸さんの強さは本当で、フワフワしてない糸さんの美しさったらなくて、どうしたって糸さんが素敵だ*2。そしてやっぱり引っ張られただけではありそうだけど、手を握り返す清司さんも同様に素敵だと感じてしまうのである。

本音をぶつけあって理解していこうと努める他ない、というふうに文字に起こしてしまうとなんだかありきたりに思えてしまうが、それをこうも美しく描けてしまうのだから、平庫ワカ先生は偉大だ。

*1:ここでは清司清志のこと。巻真紀さんみたいだけど、中身は幹夫さん。

*2:「フワフワしてていいなあ!清司さんは」という糸さんが一番好き。